まもなく 21世紀に差し掛かろうとしたころ、炎天下での走行中に
ある特定メーカーのタイヤがバーストするという一つの大きな
問題が持ち上がった。
当時ベストセラーとなっていた エクスプローラー装着された
ものが多く、フォード社の屋台骨を揺るがしかねない問題に
波及すると誰もが思った。
「 早急に新しいエクスプローラーを作り上げよう !! 」。
新エクスプローラー、プロジェクト・コード「U152」、社内で徐々に大きくなっていくその声に、一人の
男が立ち上がった....。
「 風の中の昴~....♪ 」、 ちゃうねん。わしの車はスバルやのうて、フォード・エクスプローラー
なんやで~。
とまあ、NHKの「プロジェクト X」であれば、田口トモロヲが低い声でナレーションを語りながら、
バックには中島みゆきの「希望の星」が流れるところですが、紙の上ではちと迫力がないか....。
(おっと今日は給料日であり、かつ火曜日。早く帰宅してプロジェクトXを見なきゃ。 今日のテーマは、
「81名の危機 男達の命の歌」の再放送だ ! )
さて、上方写真の素敵な中年のおじさん、誰だと思います? 私も含め、道ですれ違っても全く
気が付かない人だとは思いますが、「2002年モデル( 3rd Generation) エクスプローラー」の
デザイン総監修者、まさにその人です。
このあいだ、どなたかが 2006年モデルのフェイスは、「少しアゥディに似ているのではないか?」との
ご意見を述べていらっしゃいましたが、どうやらこの疑問が解けそうな予感。
「J Mays 」氏、現在フォード社でデザイン部門の上級管理職 (Vice President) であり、フォード車
のみならず、マツダ、マーキュリー、リンカーン、ジャガー、ランド・ローバーおよびアストン・マーチンの
デザイン監修を担当しています。
1954年オクラホマ州で生まれたメイズ氏は、カリフォルニア州にあるパサデナ・アート・センターで
自動車デザインを就学し、1980年に卒業、その後ドイツに渡りアウディ社に就職。 「Audi 80」の
デザインを手がけたことで一躍有名になりました。
のち 1983年 BMW社に移り、「5」 と 「8」 シリーズのデザインも担当し、その名前を広げて
いきました。 1984年メイズ氏は再びアゥディ社に戻り、今度は「Audi 100」を担当。 フォルクス・
ワーゲン・ゴルフやポロなどを手がけた後 1989年に再び米国に戻り、カリフォルニアにあるフォルクス・
ワーゲン・デザイン・スタジオでチーフ・デザイナーとして、新ビートルデザイン開発に携わりました。
1997年現在のフォード車に転職した後、いま皆さんが乗っていらっしゃる新 2002年モデルの
エクスプローラーを始め、新マスタング、マウンテニアやGT40、さらにジャガー F-タイプや
ボルボなどのデザイン総監修を一手に引き受けています。
またメイズ氏はこれら貢献を称えられ、2002年 2月にハーバード・デザイン・スクールから、年間
最優秀デザイン賞を授与しています。
同氏は、「自動車のデザインは、自分の作った車がいかに多のデザイナーに影響を与えるかが
大切」 としばしば述べ、また「自分の部屋にどんな家具を置くのかと同じで、デザイナーはすべての
ユーザーの考えを取り入れることは難しい」と、苦労を語っています。
また同氏は、10年ごとに最も影響を受けた車として、
1950年代 - シトロエン DS
1960年代 - ポルシェ 911
1970年代 - シトロエン SM
1980年代 - ニッサン Z
そして現在 - グループ企業のひとつである 2003年 新ランド・ローバーとレンジ・ローバーと
語っていますが...、
上記のように比較的欧州車のデザインを好むメイズ氏、社内の葛藤もあったようで、ロンドンで
働きたいと会社に転属希望を出しているようです。 ロンドンのソーホー地区にあるフォードの
デザインセンターは一昨年閉鎖になっていますが、各種のフォード車の革新的デザインを
手がけた PAG社の会長の事務所がまだ残っており、そこでジャガー、レンジ・ローバー、
ボルボ (昨年チーフ・デザイナーが退職) などのデザインを担当すると見られています。
仮にメイズ氏がもう EXのデザイン監修を手がけないのであれば、将来エクスプローラーの顔面は、
またピュア・アメ車のようなフェイスに戻るかもしれませんね。 個人的には現在の EXデザイン、
品があるにも関わらず迫力あるお顔立ちに結構ホレ込んでいるのですが...。
本日のエンディングは中島みゆきの、「ヘッド・ライト」で閉めたいなあ~ ♪ 。
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