映画などでよく見かけるニューヨークのマンハッタン街を走る黄色のタクシー、別名イエロー・
キャブ (おっと小池栄子を連想しているのは、私だけではないかもしれない)。
いかにもアメ車という風貌の馬鹿でかいリンカーンなどを想像するが、最近はホンダ・
オデッセイなどのミニバンも多くなり、ありきたりの車種導入に少しずつ変化が見え始めたようだ。
そのニューヨークを流すイエロー・キャブに、新車種が登場。2週間前の木曜日(11月 10日)から、
あのフォード・エスケープ・ハイブリッド車が走り始めた。
現在ニューヨーク州のキャブ登録は 1万 2,000台強であり、今回導入されたエスケープ・
ハイブリッド車 (以下 Hy と略) はわずか 6台と取るに足りず、おいそれと見ることが出来ない
台数ではあるが、エスケープHyを導入したタクシー会社は11月 24日の米国祝日、感謝祭
(Thanksgiving Day)までに 18台に増車を計画しているとのこと。
また、ニューヨーク市当局は、アイドリング・ノイズの軽減とフォード・クラウン・ビクトリアの
通常タクシーと比べ燃費が半分になる一挙両得を狙い、今後 5年以内に同州を走る全ての
タクシーをハイブリッド仕様に変更するとしている。
ただ問題点も挙がっており、一般車両と比べエスケープHyは足元のスペースが狭く、
かつ後部座席の面積が小さいため、居住性に欠けること。 さらに前席と後部座席が近いため、
ドライバーの犯罪からの安全性配慮が欠如することなどが今後の課題となるとしている。
しかしながらこのような問題点は、年間数千ドルのコスト削減が出来るセーブ・エナジーの
観点からすると、ほとんど無視できるとの声のほうが多いようだ。
ニューヨーク市のタクシーは 1907年から操業を開始。全てガソリン車が用いられていたが、
相次ぐ石油ショックを経験した 1990年代に 燃費の安い天然ガス仕様タクシーを導入した。
ただ 天然ガス・スタンドの普及が伸びず不便さが先に立ち、180台をピークに 2000年までに
全て廃止となっている。
現在のニューヨーク・タクシーは総数 12,760台。 その大半がフォード・クラウン・ビクトリア
であるが、異色車種としてトヨタ・シェナ ( 865台 )、ホンダ・オデッセイ ( 127台 )、いすゞ・
オアシス ( 85台 )が異色車種ベスト 3となっている。
また面白いところでは、 1990年後半には 2ndのフォード・エクスプローラー 16台が
チェッカー・イエロー・キャブとして導入された経緯があるが、コスト面から成り立たず
1999年を最後にこれも全て姿を消してしまった。
こんなNYタクシーもありました。 ↑
なお各メーカーの 2006年モデルでニューヨーク・タクシー協会から正式公認を受け使用可能と
なったのは、下記 9ブランドである。
2006 フォード・クラウン・ビクトリア – ストレッチ
2006 フォード・エスケープ – ハイブリッド
2006 マーキュリー・マリナー – ハイブリッド
2006 トヨタ・シェナ CE
2006 トヨタ・プリウス – ハイブリッド
2006 トヨタ・ハイランダー – ハイブリッド
2006 レクサス・RX400H
2006 ホンダ・アコード – ハイブリッド
2006 ホンダ・シビック – ハイブリッド
因みにニューヨーク・タクシーとして使用するには下記のような厳格な規定があり、どんな車でも
おいそれと使うことが出来ないようになっている。 (我々にとってはどうでもよいことではあるが...)
1) 車両の座席は皮革もしくはピニル製であること。ただし前席エア・バッグが装置してある場合、
メーカーの推薦素材とする。
2) 床はビニルかゴム製であること。
3) 車体カラーは全てイエローであること。 (デュポン社 M6284カラー・ペンキ色か同色のもの)
4) 全てのプライバシー・ガラス (前席と後部座席を遮るガラス)は、淡色か 70%以上の透光率を
持ったものを使用。
5) 後部座席エアコンと・ヒーターは、顧客がコントロールできるようにすること。
6) 車両にルーフ・ラック、センター・スライドが付いている場合、取り去ること。
7) その他アクセサリー設置などは NYタクシー協会規則 (TLC規則) の第 3章に従うこと。
8) パワー・シート、パワー・ドアおよび 4輪駆動装置は認められない。
ハイブリッド車に限り、一部除外項目の適用が可能。
などなど。
最近都内でもプリウスのタクシーを見かけるようになったと同様、NYでも小型日本車ブームが
ジワジワと忍び寄っているようだ。JFK空港からマンハッタンまで均一料金になってずいぶん
経つが、ハイブリッド・キャブを使ったとしても、当然のことながら割引料金は適用されないだろう。
マンハッタン、42丁目のグランド・セントラル駅から北へ歩きながらの 59丁目近辺まで行くと、
シャビーながらもスーパー・マーケット 「 片桐 」 があり、少し左へ移動すると紀伊国屋書店が
あった。 ただ良い本は全てビニール・包装がしてあったために立ち読みできずに地団駄。
ホテル北野は今でこそ凄いホテルとなったが、当時はビジネス・ホテル仕様。
ブルーミングデールのデパート入り口は、浮浪者がたむろする、異様な建物で、NY高島屋は
何故か2階から始まり、骨董品が目立つ博物館のような作りだった。
良き青春時代の思い出しか表現できない今の私...生きるシーラカンスか?
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